おはようございます、kinystaです。
今日は2026年1月4日、日曜日。 明日から仕事始めという事実から目を背けたい私は今、自宅のリビングで「土下座」に近い体勢をとっています。
私の目の前には、3人の「審査員」が腕を組んで座っています。 彼らの表情は能面の如く冷たく、ピクリとも動きません。 部屋には重苦しい沈黙が流れ、私の額からは脂汗が止まりません。
「……残り、10秒」
無慈悲なカウントダウンが聞こえます。 この審査をクリアできなければ、私の2026年は「社会的死」を迎えることになります。 なぜ私がこんな極限状態に追い込まれているのか。 その謎を解く前に、昨夜放送されたあるテレビ番組と、そこで起きた「悲しい事件」についてお話しさせてください。
「笑わない権利」を侵害するSNSの暴走
皆さんは見ましたか? お正月の風物詩として復活した『ザ・イロモネア』。 芸人さんが、ランダムに選ばれた5人の一般審査員を笑わせる、あの緊張感あふれる番組です。
しかし、Yahoo!ニュースのエキスパート記事によると、この番組を巡ってある問題が起きているそうです。
『イロモネア』一般審査員に対する誹謗中傷問題。
なんでも、テレビに映った一般の審査員に対して、SNS上で心無い言葉が投げつけられているというのです。 「なんで今のネタで笑わないんだ」 「ムスッとして感じ悪い」 「お前のせいでクリアできなかった」
……いやいや、待ってください。 これは「一般人」ですよ?
記事でも指摘されていますが、プロの芸人でもなければ、タレントでもない。ただの一般人が、無数のカメラと照明、そして何百万人という視聴者の視線に晒されているのです。 そんな極限状態で、リラックスして笑えという方が無理な話です。
それに、笑いのツボは人それぞれ。「笑うこと」を強制される空間で、あえて笑わない(あるいは笑えない)というのは、ある種の「心理的リアクタンス(抵抗)」も働きます。
画面の向こうの安全圏から、顔出ししてプレッシャーと戦っている一般人を叩く。これこそが、現代の「笑えない」現実ではないでしょうか。
ためになる「仏頂面」の心理学
ここで少し、ためになる話をしましょう。 人はなぜ、緊張すると笑えなくなるのか。
これは脳の防衛本能です。 強いストレスや緊張下では、脳は「闘争・逃走反応」を示し、交感神経が優位になります。すると表情筋は硬直します。 つまり、イロモネアの審査員たちが笑わないのは、性格が悪いからではなく、「真剣に審査しよう」と誠実に向き合っている証拠でもあるのです。
私たちは、画面に映る「笑わない顔」の裏にある、彼らの緊張や責任感を想像する優しさを持つべきです。
私が直面している「最強の審査員」たち
そう、「想像力」と「優しさ」。 今、私が最も欲しているものがそれです。
冒頭の話に戻りましょう。 私がリビングで対峙している、3人の冷酷な審査員について。
彼らは、テレビの審査員のようにランダムに選ばれた他人ではありません。 私の「甥(9歳)」、「姪(6歳)」、そして「姉(彼らの母親)」です。
私がなぜ、彼らの前で芸人のような振る舞い(と土下座)をしているのか。
それは昨夜、私が調子に乗って「お年玉を賭けたゲーム」を提案してしまったからです。
「私がこれから面白いことをするから、もし一人でも笑ったら、お年玉を1000円アップしてあげよう! でも、誰も笑わなかったら……お年玉は半分だ!」
酔っ払っていた私は、自分のユーモアセンスを過信していました。 そして今、シラフに戻った私は、約束通り「全力の一発芸」を披露している最中なのです。
しかし、現実は甘くありませんでした。 現代っ子である甥と姪は、YouTubeのハイテンポな動画に慣れきっており、私のアナログな動きを、「死んだ魚のような目」で見つめています。 姉に至っては、「早く終わらせて」という軽蔑の眼差しを向けています。
イロモネアの審査員なんて目じゃありません。 ここにはカメラも照明もないのに、完全なる「アウェー」です。
「……終了。判定は?」
姉が無慈悲に告げます。 甥と姪が、手元の札(折り紙で作ったやつ)を挙げます。
【面白くない】【面白くない】【帰りたい】
結論:笑いは強制するものではない
イロモネアのニュースを見て、「笑わない人を責めてはいけない」と書きましたが、今の私は痛いほどその真理を噛み締めています。 ウケないというのは、これほどまでに辛いものなのか。
結局、私は「子供たちの夢を壊してはいけない」という姉からの圧力(追加審査)により、お年玉を減額するどころか、「お詫び料」を上乗せして満額支払うことになりました。
皆さんも、お正月のテンションで安易に「笑い」を勝負のカードに使うのはやめましょう。 そこには、テレビよりも残酷な現実が待っています。
それでは、軽くなった財布を抱えて、明日からの仕事に備えようと思います。 さようなら、私の渋沢さんたち。