おはようございます。kinystaです。
今日は2026年1月18日、日曜日。窓の外は冬晴れ。キリッとした冷たい空気が心地よい朝です。
私は先ほど、近所のコンビニまで散歩に行ってきました。ポケットに入っているのは、Androidスマホ一台だけ。財布も、小銭入れも、家の鍵すら持っていません(スマートロックなので)。
レジでコーヒーと肉まんを手に取り、店員さんに「スマホで」と告げる。端末にかざす。「ピピッ」それだけで決済は完了し、ポイントが貯まり、私は温かい朝食を手に店を出る。
今や、空気のように当たり前になったこの光景。しかし、ふと立ち止まって考えてみると、これはとてつもない魔法です。ほんの20年ほど前まで、私たちは改札を通るために切符を買い、コンビニで支払うために小銭を数え、1円玉を落としてレジの下を覗き込んでいたのですから。
今日は、日曜日の特別企画として、この「魔法」がどのように生まれ、私たちの生活を変えていったのかを振り返る、壮大な歴史の旅に出たいと思います。題して、「電子マネー全史」。
全3部作でお届けするこのシリーズ。前編となる今回は、まだスマホもSNSもなかった時代、日本の技術者たちが夢見た「キャッシュレス」の夜明けと、ガラケーが世界最強のデバイスへと進化した2004年までの物語です。
少し長くなりますが、コーヒー片手に、あの頃の「未来」へタイムスリップしてみましょう。

第1章:極秘プロジェクト「FeliCa」と、香港からの便り
物語は、1980年代後半まで遡ります。当時、ソニーの技術者たちは、ある画期的な技術の開発に着手していました。「非接触ICカード技術」です。
当時の常識では、データ通信には「接触」が必要でした。電話線をつなぐ、端子を差し込む、磁気ヘッドをこすりつける。しかし、彼らは「かざすだけ」で、しかも「一瞬」で、複雑な暗号処理とデータのやり取りを行う技術を目指しました。
開発コードネームは、「FeliCa(フェリカ)」。由来は「Felicity(至福)」。「日常を便利にし、人々に至福をもたらすカード」という願いが込められていました。
なぜ「日本」ではなく「香港」だったのか
しかし、この技術は当初、日本国内ではなかなか採用されませんでした。なぜなら、日本にはすでに極めて精巧で、高速な「磁気システム」が完成されていたからです。
世界一正確な運行を誇る日本の鉄道。その自動改札機は、裏向きに入れようが逆さまに入れようが、磁気切符を瞬時に読み取り、吐き出すという、変態的なまでの高性能を誇っていました。「今のままで十分じゃないか。コストをかけてICに変える必要があるのか?」そんな壁が立ちはだかったのです。
FeliCaが最初に花開いたのは、日本ではなく、海を渡った香港でした。1997年9月、香港の公共交通機関で導入された「オクトパスカード(八達通)」。これが、世界初のFeliCa本格商用化事例です。
バスも、地下鉄も、フェリーも、一枚のカードで乗れる。しかも、財布から出さずに「タッチ」するだけでいい。当時、香港を旅行した日本人は衝撃を受けました。「日本より進んでいる……!」この「外圧」とも言える成功が、日本の重い扉をこじ開けるきっかけとなります。
第2章:黒いペンギンが改札を変えた日(2001年)
そして、運命の2001年がやってきます。
11月18日。JR東日本が、首都圏424駅で新しいICカード乗車券のサービスを開始しました。その名は、「Suica(スイカ)」。”Super Urban Intelligent CArd”の頭文字であり、「スイスイ行ける」という意味も込められたこのカードには、愛らしいペンギンのキャラクターが描かれていました。
「カチカチ」という音が消えた朝
当時の感動を、私は今でも鮮明に覚えています。それまでの自動改札機は、常に「カチカチカチ……」という、切符を搬送する駆動音が鳴り響いていました。朝のラッシュ時は、切符詰まりのアラーム音と、イオカード(磁気カード)を取り忘れた人の舌打ちが交錯する戦場でした。
しかし、Suicaの登場で世界は一変しました。パスケースに入れたまま、改札機の読み取り部にタッチする。「ピピッ」ゲートが開く。切符が出てこない。立ち止まらなくていい。
「未来だ!!」当時大学生だった私は、意味もなく新宿駅の改札を出入りして、そのスムーズさに酔いしれました。当初、Suicaには「電子マネー(買い物)」機能はなく、純粋な乗車券としてのスタートでしたが、この「タッチ&ゴー」の快感は、日本人の身体感覚を不可逆的に書き換えてしまったのです。
第3章:ユーロ、ドル、円、そして……「Edy」の野望
Suicaがデビューする直前の2001年11月1日。もう一つの革命が、静かに始まっていました。ソニーを中心とした「ビットワレット株式会社」によるプリペイド型電子マネー、「Edy(エディ)」の本格サービス開始です。
第4の基軸通貨を目指して
「Edy」という不思議な名前。これには、壮大な野望が込められていました。Euro(ユーロ)、Dollar(ドル)、Yen(円)。これらに続く「第4の基軸通貨」になる、という意味です。
鉄道という巨大インフラをバックに持つSuicaに対し、Edyは「街中のお店」を開拓するという、いばらの道を歩みました。当時の加盟店はam/pm(懐かしい!)などの一部コンビニのみ。レジには、今よりもずっと巨大な読み取り機が鎮座していました。
「音」のデザイン
Edyが発明した偉大なものの一つに、あの「決済音」があります。支払いが完了した時の、「シャリーン♪」という涼やかな音。これは、「お金を払った」という確かな手応えと、「コインが落ちる音」をイメージして作られたと言われています。
私も当時、なけなしのバイト代でEdyカードを買い、am/pmでペットボトルのお茶を買いました。「支払いはEdyで」そう告げて、「シャリーン」と鳴らす。小銭を探す後ろの人に、「ふっ、お先に」と心の中で優越感に浸る。(実際はチャージの手間がかかるので、現金の方が早かったりもしたのですが、そこはロマンです)
第4章:ガラケーが「財布」を飲み込んだ日(2004年)
SuicaとEdy。二つの巨人が並び立ち、電子マネー時代の幕が開けましたが、まだ欠点がありました。「カードが増える」問題です。定期入れにはSuica、財布にはEdy、社員証もICカード……。「これ、全部一つにまとめられないのか?」
その夢物語を、力技で実現したのが、当時の最強企業・NTTドコモでした。
世界初「おサイフケータイ」爆誕
2004年6月16日、ドコモは世界初となるFeliCa搭載携帯電話、通称「おサイフケータイ(iモードFeliCa)」を発表しました。
そして7月10日、記念すべき初号機「mova P506iC」が発売されます。パナソニック製の、あのカシャッと開く「ワンプッシュオープン」ボタンがついた名機です。
これは衝撃でした。携帯電話の中に、Edyが入る。チャージも、残高確認も、支払いも、携帯一つで完結する。SF映画で見た「万能デバイス」が、突如として家電量販店の店頭に並んだのです。
kinystaの「P506iC」回顧録
当然、ガジェットオタク予備軍だった私は、発売日に機種変更しました。分厚くて、重くて、バッテリーの減りが早い。でも、そんなことはどうでもよかった。
コンビニのレジで、携帯電話をかざす。店員さんが「えっ?」という顔をする(当時はまだ認知度が低かった)。そして「シャリーン」。携帯電話の画面には、減った残高が表示される。
「俺の携帯は、ただの電話じゃない。財布なんだ」
この全能感は凄まじいものでした。その後、JR東日本もこれに追随し、2006年1月には「モバイルSuica」がスタート。ついに「携帯電話で電車に乗る」時代が到来します。
「ガラパゴス」の完成
今にして思えば、この2004年〜2006年頃が、日本の携帯電話(ガラケー)の進化の頂点であり、同時に「ガラパゴス化」の決定的な分岐点でした。
世界中の携帯電話が、まだモノクロ画面でSMSを打っていた頃。日本の携帯は、カラー画面で、ネットに繋がり(iモード)、着うたを流し、テレビが見られ(ワンセグ)、そしてお金まで払えたのです。
あまりに便利すぎました。あまりに未来すぎました。だからこそ、私たちは世界標準から孤立し、独自の進化を遂げてしまった。数年後にやってくる「黒い板(iPhone)」が、おサイフケータイ機能を一切持たずに上陸してきた時、私たちが感じた失望と戸惑いの原因は、この時期のあまりにも完璧な体験にあったのです。
前編の結び:楽園の完成と、忍び寄る影
2000年代中盤。Suicaが首都圏を制圧し、Edyがコンビニに浸透し、おサイフケータイが若者のポケットに入った。日本の電子マネー環境は、世界でも類を見ないほどの「楽園」を築き上げました。
しかし、この楽園にはまだ、決定的なプレイヤーが欠けていました。そう、「流通の巨人たち」です。セブン&アイ、イオン。彼らが「自分たちの通貨」を作り始めた時、電子マネーは便利なツールから、囲い込みの戦争(ポイント経済圏)へと変貌していきます。
そして、海の向こうからは、スティーブ・ジョブズという男が、全く新しい概念の携帯電話をひっさげてやってこようとしていました。
次回の【中編】では、nanacoとWAONの乱立、そしてiPhone上陸による「おサイフケータイ冬の時代」、Androidの逆襲について語ります。あの頃、iPhoneにSuicaが入らなくて、わざわざカードが入るケースを使っていた皆さんの涙を拭う準備をしてお待ちください。
それでは、良い日曜日を。行ってきます(コンビニへ、もちろんスマホだけを持って)!
