おはようございます。kinystaです。
今朝、ゴミ出しをしようとした時のことです。 パンパンに膨らんだゴミ袋を縛ろうとすると、背後から同居人が声をかけてきました。 「やっぱり、あんたが縛ると一番小さくなるね。私がやると空気が入っちゃうんだよ」 「さすが、ゴミまとめのプロだね」
何気ない一言です。 褒め言葉として受け取るべきでしょう。 しかし、私はその言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものを感じました。 「プロ」という称号を与えられたことで、今後この家のゴミをまとめる作業は、永久に私の管轄になった気がしたからです。 この「褒め殺し」による役割の固定化。 それは時に、当事者の自由を奪う鎖になることがあります。
そんなことを考えながらAndroidスマホでニュースを見ていると、まさにその「役割」と「善意」の境界線をめぐって、大きな議論が巻き起こっていることを知りました。 関西の伝説的番組『探偵!ナイトスクープ』の放送内容が炎上し、異例の声明発表、そして配信停止に至ったというニュースです。
「6人兄妹の長男」をめぐる騒動
事の発端は、1月23日に放送された回でした。 依頼内容は「小学6年生の長男を代わってあげたい」というもの。 この少年は、下に5人の弟妹がおり、日々その世話や家事を手伝っているそうです。 番組では、お笑い芸人のせいやさんが「1日長男」として代役を務め、少年を遊びに行かせてあげる……という、本来なら「心温まる回」になるはずの構成でした。
しかし、放送後、ネット上では批判が殺到しました。 「これはお手伝いの範疇を超えている」 「ヤングケアラーではないか」 「親は何をしているんだ(育児放棄ではないか)」
これを受け、ABCテレビは25日に声明を発表。 「取材対象者や家族への誹謗中傷を止めてほしい」と呼びかけるとともに、「父親が家事育児を担当しており、長男はそれを手伝っているという認識だった」と説明しました。 現在、TVerでの配信は停止されています。
「お手伝い」と「ヤングケアラー」の境界線
私はこの放送を直接見たわけではありませんが、このニュースが突きつけてくる問題の根深さは理解できます。 それは、「家庭内のことは、外からは見えにくい」ということです。
番組側としては、「健気に頑張るお兄ちゃんに、ご褒美をあげたい」という善意だったのでしょう。 家族側も、「いつもありがとう」という感謝の気持ちだったはずです。 しかし、視聴者という「第三者の目」が入った瞬間、その光景は「美談」から「搾取」へと反転しました。
ヤングケアラーの定義は難しいものです。 「家族を助けたい」という本人の自発的な気持ちと、「やらざるを得ない」という環境的強制力。 この二つは、しばしば混ざり合っています。 特に、「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんだから」という言葉、あるいは「君がいると助かる」という賞賛の言葉が、子どもをその役割に縛り付けてしまうことがあります。 本人が笑顔であっても、その裏で「子供らしい時間」が奪われているなら、それは社会が介入すべき課題になります。
「多様な家族のあり方」という防波堤
テレビ局側は声明で「家族の事情や日常のあり方は多様である」と述べました。 確かにそうです。 他人がとやかく言うことではない領域も確実にあります。 しかし、今回TVerでの配信停止に踏み切ったということは、局側も「現代のコンプライアンス基準では、この多様性を『美談』としてパッケージングするのは無理があった」と判断したのでしょう。
かつては「貧しくても支え合う家族」が美しいとされた時代がありました。 しかし今は、「支え合わなければ生きていけない状況そのもの」に疑問符がつく時代です。 視聴者の視点が、「感動」よりも「人権」や「福祉」にシフトしていることを象徴する出来事だと言えます。
結論:「プロ」と呼ばれた瞬間に、鎖は巻かれる
さて、冒頭の私の「ゴミ出し」の話に戻りましょう。
同居人は私に言いました。 「さすが、ゴミまとめのプロだね」と。 この言葉は、今回のニュースと地続きにある気がしてなりません。
「君は頼りになる」 「君がいないと回らない」 「さすが長男」
こうした言葉は、一見すると信頼や愛情の証です。 しかし、言われた側はどうでしょうか。 「プロ」と呼ばれた瞬間から、私はもう「ゴミ袋を適当に縛る権利」を失いました。 もし次回、私が適当にやって空気が入っていたら、「あれ? プロなのに?」と言われるでしょう。 そうやって、最初は「手伝い」だったものが、いつの間にか「逃れられない責任」へと変質していくのです。
もちろん、私のゴミ出しと、ヤングケアラーの過酷な現状を同列に語ることはできません。 しかし、「賞賛という名の鎖」で役割を固定化してしまう構造は、どんな家庭にも、どんな人間関係にも潜んでいる「見えない落とし穴」なのかもしれません。
今朝、私は「プロ」として完璧にゴミをまとめ上げました。 しかし、心の中ではこう叫んでいます。 「次は絶対に、不器用なふりをしてやる」と。
皆さんも、誰かを褒める時、あるいは褒められた時、そこに「見えない鎖」がないかどうか、少しだけ考えてみてください。
それでは、行ってきます。